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ジャーナル

有田焼ってどんな焼き物?特徴や歴史について調べました

陶磁器に特別詳しくない人も「有田焼(ありたやき)」という言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか??
本記事ではいまむかし編集部が有田焼について調べてみましたので、有田焼のことを知りたい方はぜひ最後まで読んでみてくださいね。

 

有田焼とはどんな焼き物

まず有田焼とは、佐賀県西部に位置する有田町を中心に、その周辺地域で焼かれる磁器の総称です。透明感のある白い素地が特徴で、赤、黄、緑、青などを用いて描かれた美しい絵柄は有田焼の代表的なものです。デザインは時代によって変化がありますが、その美しさは海外でも厚く支持されており、多くの焼き物ファンから愛されています。

薄く軽いですが強度は陶器よりも高く、日常的に使用する食器などには最適です。

江戸時代にはヨーロッパを中心に海外へも出荷されるようになり、出荷の際に伊万里の港から運ばれていたため、「伊万里焼(いまりやき)」とも呼ばれていました。

かつては有田町にある泉山磁石場で採取された陶石が使われていましたが、現在はほとんど使用されず、より上質な陶石とされる熊本の天草のものが使われています。

作り方の特徴

日本だけでなく、世界中で愛されている有田焼ですが、1つの器が完成するまでには長い制作工程を必要とします。新しい技術の革新により、少しずつ機械化が進んできましたが、1つ1つの工程には伝統の技術が大切に受け継がれています。

作業は分業制で行われており、土をつくる生地係、ろくろや鋳型(いがた)から磁器の形を成型する型係、素焼きききしたものに絵付けをする絵付係などに細分化されています。

各分野の専門知識を持った職人たちが、それぞれの工程を手掛けていますが、有田焼の完成までにはどのような工程を辿るのか、ご紹介していきます。

磨き・洗い

鉱山から陶石を採掘して磨き、表面の汚れなどを洗ってきれいにします。

粉砕・撹拌(かくはん)

陶石を砕いていき、さらに微粒になるまで細かく粉砕します。撹拌して粗さの違う石を振り分けます。

脱鉄・不純物除去

水に沈めて、陶石に含まれる鉄などの不純物を除去します。不純物が入ったまま焼成してしまうと、黒い斑点などが表れる原因になるため、細心の注意が払われます。

フィルタープレス(脱水)・真空土練

フィルターにかけ、余分な水分を取り除き、真空土練機を使って土もみをします。土から空気を出して、適度な固さの陶土になるまで調整していきます。
その後、既定の大きさに成型して出荷します。

成形

仕上がった土を、ろくろや鋳型などを用いて器の形に成形していきます。大量に生産する場合は、石膏でできた鋳型が使われます。

仕上げ

成型した器を乾燥させ、ヤスリなどの道具を使いながら形を丁寧に整えたら、湿ったスポンジで表面を滑らかにします。

素焼き

仕上げた器は時間をかけて乾燥させ、900℃前後の温度で素焼き焼成していきます。

下絵付け

伝統的な技法を使った手作業で絵付けがされます。線を描く作業や模様付けの作業など、技法は様々です。

施釉

下絵付けが終わった器に、ガラス質の成分である釉薬をかけます。釉薬をかけることで磁器に光沢が生まれ、色を美しくする効果もあり、強度も向上します。

本焼き

施釉したものを約1300℃の高温で、約16時間もかけて本焼きします。割れないようにゆっくりと冷却させます。

上絵付け

本焼きした磁器の上に、さらに絵付けをしていきます。赤、黄、緑、黒、金、銀などの、色とりどりの絵の具が使われます。下絵付けとの組み合わせにより、絵柄に奥行が出ます。

焼成

上絵付けした絵の具を定着させるために、電気窯で低めの温度で焼成していきます。釉薬の焼成温度は色によって異なるので、色絵付け毎に何度も焼成を行う作品もあります。

 

有田焼の歴史

有田焼には長い歴史があり、誕生は17世紀のはじめのことです。

豊臣秀吉の時代に茶の湯が流行し、茶人・千利休は朝鮮半島で焼かれた茶碗を珍重していたため、秀吉は朝鮮半島への関心を深めていました。それから秀吉は、朝鮮へ出兵します。撤退の際に佐賀藩主の鍋島直茂が、数多くの朝鮮陶工たちを日本に連れて帰り、その中の一人に李参平(りさんぺい・日本名は金ケ江三兵衛)がいました。その後李参平は、佐賀県の多久にて陶器づくりをしていましたが、納得のいくものができなかったため、良質の原料探しをはじめます。

1616年、ようやく有田の泉山(いずみやま)で良質な陶石を発見し、この陶石を使用して日本で初めて磁器の製造に成功しました。ここから有田では焼き物が盛んになり、磁器が大量に生産されていきます。

1650年代からは、オランダの東インド会社(略称VOC)により、東南アジアやヨーロッパの国々への輸出がはじまります。ヨーロッパに渡った有田焼は「IMARI」と呼ばれ、高い評価を受け、純金と同じ価値で取引がされていたようです。ヨーロッパの王侯貴族の中には、熱狂的なコレクターも非常に多かったと言われています。

 

名な有田焼の窯元

長い歴史を持つ有田焼には数多くの窯元があり、有田焼の創成期から続いているような老舗が多いことも特徴です。その中でも特に有名で人気の高い窯元をご紹介します。

源右衛門窯(げんえもんがま)

源右衛門窯は、有田に窯を築いてから260年余りの歴史があります。古くからの手技が継承されながらも、現代的な商品開発も手掛けています。鮮やかな色使いが人気です。ティファニーなどの海外ブランドとの提携にも取り組んでいます。

香蘭社(こうらんしゃ)

はじまりは1689年で、初代深川弥左衛門が有田で陶磁器の製造をはじめます。その後1875年に八代目深川弥左衛門により、香蘭社の全身にあたる「合本組織香蘭社」が設立されました。香蘭社は技術力の高さで知られており、古伊万里様式や柿右衛門様式をはじめ幅広い様式で器づくりが行われています。有田焼の中でも、伝統と歴史のある窯元です。

今右衛門窯(いまえもんがま)

今右衛門窯は、約370年の歴史を誇っています。江戸時代には、鍋島藩の御用窯で将軍家への献上品として、質にこだわった器づくりが行われていました。その当時からの赤絵師の最高の技術は、現在の十四代目まで受け継がれています。

柿右衛門窯(かきえもんがま)

日本で初めて赤絵の技術を開発したのが柿右衛門窯です。その歴史も深く、およそ370年に及びます。素地の余白を活かした鮮やかで繊細な絵付が特徴で、華やかで美しい色絵磁器は世界中の焼き物ファンを魅了し続けています。

真右エ門窯(しんえもんがま)

華やかな手書きのイメージが強い有田焼ですが、真右エ門窯は唯一無二の色彩と模様が特徴です。独自に生み出した釉薬を巧みに操り、ルビー色の「辰砂」や「結晶釉」などの技法を使って、美しい宝石のような陶磁器を制作することを得意としています。

 

まとめ

調べてみると有田焼は400年という長い歴史の中で、時代に合わせて様々な変化を遂げてきたことがわかりました。

美術品としての美しさだけではなく、実用性にも優れているため非常に人気があるのもうなずけます!

今後もいまむかし編集部では日本各地のやきもののことを調べてシェアしていきますので、次の記事もお楽しみにおまちくださいね!

 

それでは今回はこのあたりで。

 

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